わたし、ああいうオバサン嫌いじゃないの

大石静のエッセイ集『ニッポンの横顔』。


空港で飛行機の荷物が出てくるのを待っていたら、
オバサンが自分たちを押しのけて前に立ち、他の仲間まで大声で呼んで割り込ませた。
憤然としていると、いっしょにいた同世代の女性がふっと笑い、


  「わたし、ああいうオバサン嫌いじゃないの」


唖然としている大石に彼女は続ける。


  「妊娠している時、いちばんやさしかったのは、ああいうオバサン達だったのよ。
   大きなお腹で電車に乗っても、男の人は無関心だし、若い人は乱暴だった。
   そんな中で、ぶつかってきた若者からかばってくれるのも、席を譲ってくれるのも、
   ああいうオバサンだったのよ。だからちょっと図々しいなってことがあっても、
   怒る気がしないの」
  (中略)
   ああいうオバサン達は、人に押しのけられた者の不愉快な気分は想像できないかもしれないが、
   自分が経験したこと、体で覚えている妊娠の苦労は絶対に忘れていないし、
   同じ苦労を背負っている者への思いやりも持っている。


…。


子供の時分、懇意にしている一家に、知能に障害のある子が生まれ、
その子に会った時、どうしていいかわからず、
おれは、声もかけられず、ただじっと見るだけで
その一家をずっと傷つけていた。


そういう場で、その子に「元気だった?」と当たり前のように声をかけ、
よだれをぬぐってあげてたのは、“ああいうオバサン達”だった。


いいおっさんになった今だって、
心がまえが予めできてるときでやっと。
不意打ちでそうした子に会ったときは、
おれは やっぱり「見なかったこと」にしてしまうだろう。


「それはそれ、これはこれ」だ。しかし、
大石氏同様、
しばらくは図々しいオバサンを見ても腹が立たないかもしれない、と思う。