百叩き

中野翠「おみごと手帖」。
サンデー毎日連載のコラム一年分をまとめたこのシリーズは、
「ことしの重大ニュース」系の番組がわりの年末のおたのしみ。


草なぎ剛の謝罪会見を見て。


  謝罪記者会見では、草なぎが目を伏せたり眉を寄せたりするたび、
  激しくカメラのフラッシュがたかれ、シャッター音が湧き起こった。
  すさまじい光と音--。私の頭には「百叩き」という言葉がよぎった。


まさに、まさに「百叩き」だった。
日本郵政の西川社長の辞任会見で、西川社長が
もう写真は十分でしょう、やめてくださいと語気を荒げると、
その荒げた表情がシャッターチャンスだとさらにフラッシュの砲列が注ぐ--。
あれも醜悪な光景だった。



だいたい、ビデオカメラがこれだけ進化したのだから、
ほんとはもうああした場に写真カメラマンはいらないんじゃないのか。
ビデオで撮って、中のひとコマを選べば、
じゅうぶん新聞やら雑誌やらの使用に耐えるものになるのではないか。
2格ぐらい落ちるのだとしても、
あのシャッター音、フラッシュによる「百叩き」を見ずに済むのなら、
おれはそっちを選びます。



中野氏は、さよなら公演等の近年の「消えゆくもの」商売にもひとこと。


  自分たちでサッサと見捨てておいて、そのうえで、
  消えゆくものを惜しんで盛り上がる……。まったくおかしな風潮だ。


まったく、まったく。
ウェンディーズの年内閉店のにわか大混雑とか、どうなの、
おれはぜったいいかんけんね、下品なっ、と思っていた一方で、
雑誌の終刊号は買いがちなわたし。
下品度合いはまったく変わらないのだった。
中野姉さん、ごめんなさい。