減ってく一方の人生の時間をつかって

録画していた槇原敬之のライブを明け方に見ると、
クリスマスライブだった…。
槇原が曲間で、クリスマスへの思いを語る。


  減ってく一方の人生の時間を使って
  今日は誰にプレゼントあげようとか
  自分以外のひとのことを考えられる
  こんなやさしい時間をくれた
  キリストさんがそりゃあ生まれてくれてよかったと
  僕も思うし−−−(以下略)


減ってく一方の人生の時間を使って、が効いてるなあ。



神社で手を合わせるとき、
父母や祖母の今年の健康へのねがいが先に来る。
それはもちろん、そのほうが自分にとって
“トク”だからというのも大きいのだが、
自分の人生の時間が減っていくのに反比例して
ねがいが自分以外に向かうのは、ふしぎだ。


先般の「クリスマスの約束」を見ていても、
ライブを見て感極まっている 美人嬢 が映ったときのほうが
ああよかったね、よかったね、と
泣きたい気持ちになったもんなあ。


おれのおじいちゃん化が進行している。


まあ、世間が動き出せはどうせ
ヨクドしい自分に戻るのだろうがの。