よく言えばお母さんっ子、悪く言えばマザコン
父の“家族解散”宣言で、ひと夏の公園生活を体験した麒麟・田村の「ホームレス中学生」。
公園生活の描写も楽しいけれど。物語の幹は
よく言えばお母さんっ子、悪く言えばマザコン
だった田村少年の、母の死を乗り越えてゆく成長譚だ。
小学5年で母を亡くし、中学3年になってもそれを受け入れられず
“お母さんが帰ってくる”と考えていた少年は、
恩人の死と、高一の担任教師との交流を経て、ついに前を向く。
以下は、母の死から5年後の、“前を向いた日”の描写だ。
僕はこの日、スーパーでかっぱ巻きを買って食べた。
(中略、入院中に母がもらした、たったひとつのささやかな願い)
お母さんが食べたいと言っていて、食べることができなかったかっぱ巻きを、
お母さんの代わりに食べて、僕はひたすらに泣いた。
……。
ほんに、お母ちゃんっ子って言葉があるのに、
なんでもかんでもマザコンマザコンわるく言い過ぎだ。
結局おいらも使ってしまうのだろうけど。
麒麟・田村(と編集者が)ここまでの「お母ちゃん好き」押しができたのは、
リリー・フランキー「東京タワー」と、
島田洋七の がばいシリーズが、
ものそい“露払い”をしてくれたことが大きいのだろう。
にしても、麒麟・田村。まっすぐなええコやなあ。