クラス会で会っても、ぼくは話しかける勇気がありません。

朝日新聞の「いじめている君へ いじめられている君へ」を
ホームページ上でまとめて読み、
楽家千住明氏のメッセージに打たれる。


中学時代、いじめられることへの恐れから いじめる側になった千住氏は言う。


 いじめられたのは個性のある人たちばかりです。
 (中略)
 いまは立派な仕事をして、それぞれの分野で輝いている人がたくさんいます。
 でもクラス会で会っても、ぼくは話しかける勇気がありません。


いじめられた経験もある氏は、
いじめられた側はいじめた側をけっして忘れないということを
よく知っているからだと文章は続く。


夜回り先生」が子供たちの心をひらくのは、
自身の弱さも後悔もかくさず子供たちにぶつけるからだ。
千住氏の、いまなお引きずる痛みの 告悔 は、
多くの こどもたちにまっすぐ届くだろう。


※※
こども時代生きにくかっただろうことは想像に難くない
さかなクンの ひとことひとこと。


「僕自身、太っていると言われると、いくら笑いが起きても、
やっぱり嫌な気持ちになります」という長州小力の小さな打ち明け話。


高見のっぽ氏の「もし君が強い人なら、
私が思うような、むかしのガキ大将になってくれませんか」との呼びかけを、



うん、うん。うん、うん。うなずきながら読んだ。