なんか人形の中から人形が出てくる奴
松尾スズキ「宗教が往く」を、トイレで2-10ページずつ読みつぎ、読み終える。
物話としてはとっちらかっててアレだけど、
セルフつっこみしまくりの文章に
生理的な気持ちよさがあるんだよなあ。
セリフはさすがに立ってるし。
マトリョーシカは
「なんか人形の中から人形が出てくる奴」
だもの。
以下は同書より、名台詞についての考察部分。
「傷ついた数だけ優しくなって」などという台詞に代表されるように常に
「くさいんじゃないの、それ」と糾弾の矢面に立たねばならぬリスクを
常に名台詞は背負っているのである。
いい台詞は往々にして「あいまいな何かを言い当てよう」として空回りする。
決して間違わない方法を教えよう。
初めから正しいことを言おうとしないことだ。
だから、あだやおろそかに登場人物に名台詞を書いてはならない。
(中略)
人は必死のとき、やむをえず、名台詞をはいてしまったりするものだ。
馬肉を食ってウマいなあ。心を無にしていると偶然ダジャレを言ってしまうことがある。
そういう悲劇に近い。しかし、それは仕方のないことなのだ。
そういうときは「聞き流してあげる」。それがデリカシーというものなのだ。
もうおととしか。ほぼ同時期にDVDで見た
名台詞てんこもりの「私の頭の中の消しゴム」と、
名台詞いっさいなしの(でも面白かった)「誰も知らない」のことを思い出す。
前者は、その名台詞を許す“装置”(若年性アルツハイマーetc…)を
しっかりつくり込むことで、糾弾の矢面に立たされるのを回避し。
後者は、撮影が、監督が状況を説明し「こんなようなことを言って」と
オーダーするかたちですすめられたため、基本的に名台詞は用意されておらず、
撮影現場で必死な演技者が吐いた名台詞は
デリカシーにより意図的にカットされた
のではないか。